Episode Satomi Kowase 私の原点
あなたを映し出す一着を。
Path Codeアンバサダープロジェクト第二弾
アンバサダーとは、いま巷にあふれる言葉の1つではありますが、Path Codeアンバサダーは商品を使って紹介する人ではありません。Path Codeのコンセプトでもある、自分らしい生き方をしている人をデザインの源泉とし、その人に本当に似合う服を作る。というプロジェクト。
完成した服を目の前にしたとき、自然と湧き上がる笑顔。その服を身に纏ったとき、目の前に広がる感動。Path Codeとアンバサダーが1つになり、お互いの幸せが花開く瞬間。
コラボレーションでもなく、フィーチャリングでもない。共通する互いの融合。個性となりその人自身となる服。あなたを映し出す一着の完成です。これがPath Codeアンバサダープロジェクト。
あなたを映し出す表現を。
Path Codeアンバサダーは共に服を作るだけでなく、その人の生き方と服を表現にしたコンテンツをプロジェクトの一環として発信します。
今回ご紹介させていただくのは、Path Codeアンバサダーの小和瀬さとみさん。(以後、小和瀬さん)
シンガーソングライターである小和瀬さん。群馬から上京し、東京や横浜などで活躍の場を広げる彼女を映し出した服とは。そして彼女はいったいどのようなPath(道)を歩んできたのか。実際に小和瀬さんを源泉にし完成した服、Path Code Satomi Kowaseを着用していただき撮影した写真とともに彼女をこの場に映し出していきます。
それではPath Codeと小和瀬さんの融合をお楽しみください。
About her Path
小和瀬さとみさんのPath
栃木県足利市で生まれ、佐野市で育つ。大衆演劇や歌との出会い没頭する学生時代。群馬大学 工学部 環境プロセス工学科に入学し、同大学の大学院へ。それと同じ頃、とあるジャズバーでジャズと出会い、その楽しさを知る。その後、歌への情熱を持ちつつも、一度は食品メーカーのエンジニアとして働くが、自分のやりたいことをやると決め、シンガーとしての自分のPathを歩みはじめる。モーションブルーヨコハマや都内近郊にてプロのシンガーとして精力的に音楽活動中。
SITE:小和瀬さとみ 公式サイト
Instagram:@kowase3103
YouTube:Kowase Satomi
気持ちよさそうに堂々と歌う小和瀬さんを見ると、生まれながらのシンガーなのかと感じます。しかし実際はどうなのでしょうか。一体彼女はどのようにシンガーとなり、どのようなPathを歩んできたのか。Path Codeアンバサダー小和瀬さとみさんを幼少期から紐解いていきましょう。
歌とか苦手でした
栃木県の足利市で生まて、中学校の時に佐野市に移ったんです。
小学校の時は、家ではしゃべったりしたけど、学校でほぼしゃべんない感じだったと思うんですよね。だけどめっちゃ友達がいたんです。聞き役タイプって言う感じでしたね。だから当時の友達に会ったら、私の今の生き方にびっくりするかなって思いますよ。
この頃は、人前で歌うのもいやだと思ってて、歌とかは苦手でしたね。大人とカラオケ行くとか超無理で、一人で机の下に隠れて、絶対順番回ってこないでほしいと思ってるタイプでした。
あとは、バスケにうち込んでいて、中学校でも運動をやろうと思って、テニスやって。音楽とは程遠い感じの生活でしたね。
幼い頃は歌が苦手だったという小和瀬さん。今の姿からは想像できませんが、この後、さまざまな出会いが彼女を音楽の世界へ導きます。その出会いとはなんだったのでしょうか。中学生の頃に衝撃的な出会いがあったと言います。その時のことを聞いてみましょう。
大衆演劇に魅せられて
中学校2年生ぐらいの時に文化会館の壁に大衆演劇の早乙女太一さんの公演ポスターが貼ってあって、なぜだかわからないけど、釘付けになっちゃって。それで行きたいと思って、家に帰って親に頼んで予約してもらったんです。
それで大衆演劇を見にいって、すごい感動したんですよ。ステージの力を感じました。舞台が人々に与える感動って、こんなすごいものなんだっていうのを早乙女太一率いる大衆演劇の劇団に教えてもらっちゃって。もう自分中で超衝撃ですね。バッーン!みたいな。
そこからミュージカルを見たいとか、やりたいと思うようにちょっとずつなってったんですよね。自分が歌えるのかどうかも知らないのに、当時。
そのまま大衆演劇に没頭して、それまで貯めていたお年玉を全部使う勢いで見に行ってました。ファンクラブも入って。っていうのを高校生ぐらいまで。
あと、中学校は学校の生徒数が少なくて、普通の部活はテニスでしたけど、駅伝大会の時は陸上部ないから関係なく出されるし、合唱コンクール出ますって言ったら、合唱部ないから全員が出る。そんな感じで中学校で歌も半強制的にやることになり、ちょっとだけ音楽がおもしろいなって思うようになってて。
これだけ大きな衝撃を受ける出会いというのはなかなかありません。しかしそういったものへの出会いは必然だったのかもしれません。大衆演劇に感動し魅せられ、少しずつ音楽への扉が開き始めます。その扉をさらに開く出会いはこの後も続きます。
音楽との出会いは突然に
高校もバスケ部入ろうと思って入部届だして、三日後ぐらいなのかな。校舎の外の通路を歩いてる時に3階の音楽室から音楽が聞こえてきたんですよ、合唱の。バスケ部入るって思ったけど、それまでまったく良いと思わなかった合唱をやりたいなって感じちゃって。
そう思ってすぐにバスケ部に退部届だして、そのまま音楽室に行って合唱部に入部届けを出したんですよ。わりと衝撃に動かされて、突発的にバッて動くタイプですね私。
あとは、隣町でミュージカルやりますって募集が新聞に掲載してあって、親にも全然相談せずに電話して、オーディション行くことになったから市役所に送ってって感じで言って(笑)これも突発的に。それでオーディションに受かって、半年間ぐらいかな。高校生活と部活動とそのミュージカルを並行してやってました。
突発的とはいえ、小和瀬さんの行動力がここでも発揮されます。飛び込む勇気が彼女と音楽をより強く結びつけていきます。そして今度はある土地と出会います。偶然的にも出会った土地。最初はあまり好きではなかったと言いますが、この後の彼女の運命を大きく動かしていくことになります。
桐生という土地と
大学に入る前にアカペラをやりたいなって思っていて、それで群馬大学にアカペラサークルあるし、頑張るかってなったんですよね。大学の進路を決めるときは、これが勉強したいなとかっていうより、アカペラがあるかどうかでした。
工学部を選んだのは物理がめちゃくちゃ好きだったんで、難しいけど途中からすごく簡単になって。理系おもしろいってなったんですよ。そういう物理の知識が活きるのと、環境問題に興味を持ってて、群馬大学工学部環境プロセス工学科に入学したんです。
原料と原料で製品作る時に、二酸化炭素を一番抑えるようなプロセスを作るのはどういう設計ですか。みたいな。そういうことを勉強してました。
入学して1年間は前橋で勉強して。群馬大学の本校舎があったので。2年生から工学部は群馬県の桐生に移動なんですよ。最初、なんで工学部だけ桐生に行かなきゃいけないんだって思ってたんですけど、最終的にめっちゃ好きになって旅立ったという。
その後は大学院に行きました。すぐ何やりたいというのはなかったし、大学院に行かないと、自分が思うようなおもしろい仕事ができないのがあったので。あとは、もうちょっと学生やりたいと思ったんでしょうね。
何か選択する時は、人と違うことを選んでいたという彼女。それがきっかけで物理を好きになる。こういった選択が彼女と桐生という土地を結びつけました。そしてこの桐生に彼女のPathの出発となる原点があったのです。
ジャズと私の原点
アカペラは1年の時の前橋キャンパスで始めたので、前橋にも仲間がいて。桐生のキャンパスに変わっても毎日前橋まで車で1時間通って、夜中まで練習してみたいな。そういう熱中具合だったんです。暇な時間がないくらい濃かったですね。バイトの後アカペラそれから別のアカペラ行って、手帳が真っ黒って感じでした。
それで大学の4年間でアカペラ終わったから、大学院の2年間は音楽ができないのかなって思ってる時に、桐生にヴィレッジっていうジャズバーを発見して。大学から駅との間にあるんですけど、そのお店がガラス張りになってて、中では生演奏やってて。通り過ぎる時にずっと気になってて、ある日、行ってみようって入ったんですね。
そこで一緒に行った友達が、「こいつ歌やってるんですよ。」ってお店のママに言って、私的には恥ずかしいし何言ってるんだー!!汗って思ったんですけど、「そうなの!?」ってママが駆け寄ってきて、いろいろ話してくれて。私の歌もまったく聞いたことないのに、じゃあ今度セッションやるから来ない?という流れになって。
そこで楽譜もらって、そこからYouTubeとか音源とかをたくさん聞いて、まったく知らないジャズを真似することから始めて。それでセッションに行って生演奏で歌う難しさと楽しさに直面する。っていうのがジャズとの出会い。そこから始まりましたね。
それからバーでアルバイトしないかと誘ってもらったんです。週に1回、東京とかからプロミュージシャンが来る日に、私のバイト入れてもらって、ライブ見ながら働く。そういう生活が大学院の卒業までありました。
ヴィレッジで働いてた子だねって、他のミュージシャンの方達との関係も築いていけるっていうのは今でも続いてますね。
※Jazz & Blues Bar Village
彼女の原点でもあるヴィレッジというお店。このお店のママである美絵さんとの一枚。二人は姉妹のように仲がよく、シンガーとしても、女性ボーカルグループ、Dream Voicesとして共に活動をしています。
素敵な店内ではジャズイベントはもちろん。アルコール類も豊富。さらにはハンモックの席があるなど、とても寛げる空間になっています。
Jazz & Blues Bar Village
Address : 〒376-0045 群馬県桐生市末広町6-25
Tel & Fax : 0277-43-2770
HP:Jazz & Blues Bar Village
【営業時間】
Bar
19:00〜24:00 (23:30ラストオーダー)
Live
(1st)19:30~
(2nd)20:30〜 22:00まで
【定休日】 月曜日
彼女とヴィレッジ、彼女とジャズの運命の出会い。原点がここにありました。しかしこの時はシンガーとして活動しようとは思っていなかったようです。大学院卒業後、桐生を離れ、食品メーカへ就職します。そこからどのようにシンガー小和瀬さんが誕生したのでしょうか。
やりたいことをやる
大学院を卒業して24歳の時に就職したのが食品メーカーのエンジニアとしてですね。
4月に入社して、すぐに千葉のホテルで2週間ぐらい新入社員研修があったんです。そこで何か違和感を覚えて。仕事にっていうより自分自身にだったのかな。でも研修が終わって現場に入ったら、すごい忙しくて忘れちゃってたんですね、その違和感を。
しばらくしてふと、ある本を読んだら、すごい納得して。いままで常識とかに流されてきたこととか、思ってきたことを、最初まで戻って、もう1回自分で考えるみたいなことになって。それから通勤の時間とかもずっと本を読んだり。
多分自分では仕事を辞めて、自分のやりたいことやる!って言うのを決めつつ、本に背中を押してもらう期間が1か月ぐらいあったのかな。その間でいろんな本を読み切って、よし、仕事辞める。って9月末に言いましたね。
実家に帰って私の決意を聞いた両親はさすがにびっくりでしたね。動揺もしてたと思うんですけど、それまでも私は自分で決めたらやるっていうのもわかってくれていたので、最終的には認めてくれたって言う感じです。
最初は心配もあったと思うんですけど、今ではとっても応援してくれています。
とても彼女らしい決断と行動力。自分のやりたいことをやるために就職したばかりの会社を辞めるのは簡単なことではありません。そのまま働きながらも歌うことはできたと思いますが、道を1本にしぼり、きっぱりと会社を辞めてシンガーとしてのPathを歩み始めゼロから出発していきます。
自分の道を歩む時
会社やめる時、何か保証があると訳でもなくやめたんです。お金も使い切って貯金ゼロにして、そこから始めるぞじゃないですけど。
それで実家に戻って、ビレッジで出会ったミュージシャンと月に1回ぐらい東京とか横浜でライブをやって。後は実家の方に戻って、早朝から夜までの化粧品の容器を傷を8時間み続けるとか、真冬の靴の倉庫でピッキングバイトとかしてました。
それから25歳の時に上京してきて、来た当初も倉庫の派遣のところでバイトしてて、そこを17時ぐらいまでやって19時ぐらいから六本木や銀座のジャズバーを紹介してもらって歌うようになりました。バイトしたあと六本木、バイトした後、銀座とかで。そういう生活ですごくハードでしたね。
そんな中で上京して10か月位のころかな、モーションブルーが決まったりして。モーションブルー出ながらバイト。どっちも同じ人の人生なのか思ったりしたなかで暮らしてましたね。でも、こういう生活に葛藤はありながらも聞いてくれる人はいると思ってたから、どれも辞めたいとかはなかったです。
※モーションブルーヨコハマ
音楽を聴き、海を見ながら食事を楽しめるレストラン。横浜のレンガ倉庫とともにオープン。JAZZを中心に有名アーティストがステージを彩り多くの音楽ファンを魅了し続けている。
最初は苦労しつつも、モーションブルーを始め東京や横浜などシンガーとして活動、自ら主催者となってのライブも多数開催。オリジナル曲の制作にも取り組みます。そんな中の私たちPath Codeとの出会い。アンバサダーをやってみて感じたことを伺ってみましょう。
ふるさとを思い出せる服
もともと服にあんまり興味なかったんですよね。妹がいるんですけど彼女はアパレルで働いてて、ファッションとかめちゃくちゃ好きで派手にしたりしてて、でも私はどっちかというと自然体で過ごしちゃうタイプ。
でも、最近というかな、アンバサダーになるちょっと前から良い物を着た方がいいかもって思うようになって。なんか、ときめくものには躊躇しないほうがいいって思い始めたんですよ。服以外でも身につけるもの、食べるもの、やりたい音楽とかもそうですし。それがより強く思える機会でした。
後は、桐生レースを使うって聞いて、そのキーワードが出てきたのには超びっくりして、桐生ですか?まじっすか!みたいな。それでふるさとに対しての思いをもう1回知ることができました。桐生を撮影場所に選んじゃぐらい好きだったんだとか。本当に撮りたい場所で撮影もできたし。
そんなふうに、服に意味がつくと愛着がわく。ありふれてる服の中でどれを選ぶかというときに意味とか重要になってくるなって。今回作ってもらった服を着てると、ふるさとを思い出す。これはご縁で作ったとか、着ると気分がよくなって、シンプルだけどそれが良いって思える気がする。黒っていう色もそうだし、自分のファッションの原点というか始まりになった感じがします。人に聞かれた時には今回のエピソードとかを話したいって思いましたね。
自分と服と思い出の土地の融合。これはアンバサダープロジェクトのコンセプトです。それを強く感じてくれたことが何より嬉しいと思います。群馬県の桐生は古くから繊維の街として知られ、今でも多くの繊維や縫製の工場があり、私たちPath Codeでも以前より取引させていただいています。小和瀬さんとPath Code。そして桐生。この出会いというのも運命的なものを感じずにはいられません。そして彼女が本当に撮りたい場所と言っていたとこについても伺ってみました。
憧れの場所
さっき言った本当に撮りたい場所ってヴィレッジもそうだったんですけど、もう1つあって、群馬大学工学部の同窓記念会館なんですけど、そこは思い出の場所って言うか、なんか憧れの場所だったんです。
そこでいっぱい過ごしたわけじゃなくて、大学入って、入学式ぐらいに入ったのかな。それですごいとこあるって、これ超パワースポットだなって思ってて。素敵な場所だけど改修中で入れなくって。今回も漠然とそこで撮れたらいいんだけど、まぁ無理だろうなと思ったんですけど。
最近その群馬大学工業会っていう工学部の卒業生の人たちが、私のことを知っててくれて、会報に載せてくれたりとか、来年100周年記念で、講話で呼んでくれたり。地元の上毛新聞さんの取材を促してくれたり、すごい工業会の応援を感じてて、ありがたいと思ってる中で、当日連絡が取れて、今からもしかして開けていただいたりって無理ですよね?笑って連絡取ったら、開けに行きますよ。っていう感じで急遽開けて下さって。嬉しかったし本当感謝ですよね。
憧れの場所と思っていた同窓記念会館。当日にそこで撮影できるという奇跡的な出来事も小和瀬さん自身の歩んできたPathが手繰り寄せた必然とも言えるのかもしれません。数々の勇気と行動で切り開いてきた、いままでの人生。最後に、こうして歩んできたPathから彼女自身が感じていることを伺ってみました。
日々の納得度を
高めていく
今回のアンバサダーの話も、最初はなんだろう?って思いましたけど(笑)でも話しが回ってくるっていうのは本当ご縁だから。明らかにこれはやばいだろってやつ以外は全部やろうと思ってます。
やらないでチャンスを逃しちゃうことって結構あるなぁって。何かやってみて、納得するかどうかはその時点で分かんないから、納得するようにするって感じでやってから。自分にとってどうかなって考える。全部そうかもしれないですね。
だから夢とか目標とかはないんですよ。日々の積み重ねでしかないから日々の納得度を高めていくと何か良い出会いがある。服作れるのとかって結構すごい貴重な機会だったし、でもそれも、シンガーとしての活動をやってたから出会ったったわけじゃないですか。それは服を作りたいから発信してたわけじゃないし、全然違うところだけど、日々の積み重ねで今回の企画があるので。
目の前のことをよりよくやってるとまた良い出会いがあるなと感じてます。
小和瀬さんらしい、彼女のPathを感じられるとても素敵な言葉をありがとうございました。思い出の土地とともに撮影した写真で着用していただいた服は、Path Code SATOMI KOWASEの商品となります(一部を除く)これらの服に込めた想い。小和瀬さんから感じたインスピレーションとは。私たちPath Codeからご紹介させていただきます。
Path Code
Satomi Kowase
アンバサダープロジェクトでは、変化してゆく「今」のライフスタイルも取り入れながら、きっとこれからも変わらないマイベーシックというコンセプトをもとに、デザインとスタイルを作り上げていきます。
「自分のカラー、そろそろ見つけたいんですよね。」その一言から小和瀬さんのプロジェクトは進んでいきました。それまではステージ映えをするためや、ライブ毎にことなる衣装を纏い歌っていたということですが、どのステージでも、どのライブでも、さらには日常での小和瀬さとみさんという、自分らしい「どこにいても私」のスタイルを目指しました。
そうした中で私たちがたどり着いたのは「黒」小和瀬さんを見ていると可能性をすごく感じます。それと「黒が持つ可能性」というリンク。
黒はWEBカラーの16進数カラーコードで「#000000」と表記されます。ゼロという出発点。今回撮影でも訪れた桐生。シンガーとしての出発点であるその場所で生まれた、桐生産のレースを使うなど、彼女の原点、そしてこれから作られる彼女の可能性をPath Code Satomi Kowaseの中に込めました。
ただ、黒というだけでなく、表情のある黒。表裏を変えたり、レースを使ったり、あらゆる表現で洋服をデザインし、異なった素材感で仕上げました。同じ黒でも違う黒。「黒が持つ可能性」からスタイルを展開しています。